電気グルーヴの続・メロン牧場(卓球さんと瀧さんと編集の人がだらだら喋ってる本)を読んでたら「道の向こうからチャラいやつとか来たら全然怖くないけど、ものすごく普通な、12年前のリーボックいまだ履いてるようなやつが来たらむちゃくちゃ怖い」「俺が知ってるもので現代を楽しんでる人間はわかるけど、そういう人は何で消化しているのかわからないから怖い」的な話してて、正否はともかくそのとーりだなーとかなんとなく思って、自ら隔離するようなこもった生活をしている私は、いっちょ現代と繋がる努力をしようかなと思い、一番考えやすいのは食かなと思って(服飾に行かないのがさすがである)安野モヨコのくいいじを買ってみた。何を言ってんだかわからねーだろーがなんかそうなった。


普段はこんな箱に入って出し入れが面倒な上に、上下巻なんて上だけ売れて下が余ったら、それを見越して少なくして下がたりなくなったらどーすんだ的なメンドくさそうな本とか以前に二冊で2400円だとなものはなんとなく敬遠するのだが、なんとなく安野モヨコならあの図々しいまでの力強さで私を導いてくれるのではないかと思ったので買ってしまった。私は安野モヨコは好きな所と嫌いな所がキッカリ同じだけあり、読んでて大変疲れる。嫌いな所はあの自意識が満々に溢れているなんでも見てやるぞって感じのキャラクターのでっかい目。読後目を閉じてもあの目がギラギラとまぶたに残っていて、必ず目尻がひきつるように疲れている。好きな所は、あのでっかい目が表すものの見方で観察しただけはあるミもフタもないまでの視点のドライさ。どんなに美しいキャラでも化粧の仕方がわかるし、裸になれば乳が絶妙に垂れてる。そういうのが台詞、背景、立ち方、態度に隅々に現れていてそれが魅力になっていて、つい引き込まれてあの目に焼かれながらも読んでしまってやっぱり疲れる。結局疲れるのか。まあこの本は食事の話と絵しか出て来ないからホイと手を出してみた。カレーを作れば何も考えずに何日も食べ、パン屋のイートインかマックか近所の飯屋の昼定食かチキンカツ定食を何も考えずにローテーションし続ける私にこの本が現世と繋がるきっかけをくれればいいがのう。(無理っぽい)



箱入りの本で思い出したのだが、本屋さんてパソコンで本を管理しているように見える割にスリットってなくならない所を見るとまだ活用されてんだよね?? 箱だとスリットが面倒なのかと思ってしまう暴れん坊本屋さん脳。