彩雲国物語 黒蝶は檻にとらわれる

毎度思う所は色々ありましたが、やっぱり面白かったです。
いくら地の文やセリフでフォローを入れても甘いモノは甘いのだから(つーか何とも思ってなくてもイチイチ「強くなった」的な事言われると逆に「そーか?」とか思ってしまう…ついでに言うとワタシですら甘いなあと思う所はスルーなのさ…)話が通じない人やつまらんツッコミ入れる人の為の説明や釈明にページを割かんで、彩雲国を愛してくれる人のためだけに書きたいと思った事を書いてくれんかなあなどと、セーガ君や皇毅様が何かってーと「逞しくなった」的な反応をいちいちまめまめしくやってるのを読んで思ったり思わなかったりもするのですが、どーなんかなあ。

そりゃーワタシだってここに来て「また新キャラかー」とか「また知らなかった設定がー」とか「既存のキャラをもっと使ってアゲケナヨー」とか「そーいや十三姫っていたね!」(ラストらへんに名前が出て来るまで本気で忘れてた)とか「そんなことになるなんてこの時はまだ思ってもいなかったとか言いつつ五冊くらいすぎてるようなー」とか「劉輝って中盤と最後に何か言うだけの人だな」とか「つーか劉輝うら表紙のあらすじにもいねーよ」とか思わない訳でもないですが(…。)ワタシはこのお話の真面目さ故に生まれるドラマが好きなのだなあ。秀麗が「じゃあこうすればいいのよ!」って言ってミもフタもない位軽やかに飛び越えて行ってしまう所が好きなのだ。フツーや現実はそんな事はありえなくても、読んだ人が痛快だと思えるなら、現実に潜む望みや喜びと繋がる所があるなら、それはそれでとても価値がある事だと思うんだがなあ。それじゃいかんの?


まあそんな小うるさい事は置いといて(毎度の事だがワタシが1番言わんでいい事を言っている)もろもろのフォローとか釈明めいた文を除いた展開だけならナカナカに燃えました。うーんいいハッタリ。彩雲国は「ワタシに何が足りないか」じゃなくてキャラのハッタリが命だよな。そのキャラ達が桃食ったり梨食ったり仕事したり恋したりするから楽しいんである。愛されるべき人が愛される話なのよ。イチゴのショートケーキなのよ。それでいいのよ。のよ。
しかし雪乃さんはほんとうに紅家三兄弟(特に次男)が好きだなあー。楸瑛のことは百何ページ忘れても玖琅の事は事あるごとに絶対一行は入れるし、半端なページ数なの絶対黎深の無駄口のせいだし(286Pて…)、邵可に至っては秀麗とのやりとりを劉輝なんぞより遥かに重きを置いてるし(少女小説なのに…)何がしたいんだ一体(笑)いいぞもっとやれ。