ムシアオの森、カササギの剣

ムシアオの森、カササギの剣 (一迅社文庫アイリス)

ムシアオの森、カササギの剣 (一迅社文庫アイリス)

年の差身長差バリバリ孤独な少女と孤高の武人に惹かれて買ってきたのですが。うーんうーんうーん。
「ジャクスとなゆた」「祖母と母となゆた」「ジャクスとクルス」「クー・シュアイと魔央」「カイエン」とそれぞれのやりたいことはわかるし、設定はいいと思うんですが、それが絡んで一本の話に成立してるかと言うとさっぱりさっぱりな…。それぞれの要素が「年の差」「身長差」「身分差」「主従」「歪んだ忠誠」「身体が砕ける様」「スプラッタ」とか作者当人がやりたいことを消化する為に存在するだけっつーか、並べられてるだけというか、人と人との化学反応とか変化がおこらないっつーか…。起こってるのかもしれないんだけど伝わらないと言うか…。「えっ、そうなの!?」とか「そ、そういうもんなのか!?」とか思いながら読んでいた…。うーん。ワタシにとっては宇宙人が書いたお話でした。言葉の意味はわかるのに理屈も感情もぜんぜんわからない。中々ない読書ならではの体験ッちゃー体験なんですが。


あと(一応しまっとくかね)
私クルスみたいなタイプの馬鹿って鬱陶しくて大嫌いなのですが、それにしたって彼は死ななきゃならんようなことをしましたか(爆)物語の全ての不合理をゾーキンをしぼるように一身に受けて砕け散る様にただただワタシはポカーンとしておりました…。空気読めない自分の事オンリー野郎は死んでよしってことですか。そういやラーマもそんだけの事でムゴく殺されていたな。なゆたのよーに誰の邪魔にもならない毒にも薬にもならない無個性な被害者が何もせぬまま(そういやホンットにこの子何もしてないな…誰かの後ついてっただけだ…生まれてから14まで虐待され続けるなどという設定付けといてそれかよ…なんたる絶望的な…)しあわせになるというのがステキなのか。現代的と言えば現代的なのか。な?