きょうびのロボットアニメの何が嫌って、「戦うことでしか生きられない」とか「こういう風にしか生きられない」的なことをその世界でものすごく強いロボット乗ったりとか(たとえばガンダム)すごく有利な立場(たとえばルルーシュの左目)でしれっと言うんだよな。そういうことをジムとかボール的なものに乗ってる人が言うんなら「その意気やよし」とか思いますけど、ビームライフル向けてその銃口の直線上のロボットが全て一瞬で殲滅されてしまうようなもんに乗ってるやつが言ったって、誰も持ってない…つーかかなりみもふたもない能力あるヤツが言ったって「そりゃそうでしょうよ」としか思えんわけですよ。
で、そういう始まりのお話がどういうことになるかというと、それに対する言い訳とつじつま合わせになるんだな。「こんな過去があるから」「こんなにかわいそうだから」「こんなにナイーブだから」「心優しいから」「傷ついてるから」「本意ではないから(意識がなくなる的な)」「足かせになるキャラがいるから」「力があったって通用しないものがある」「心は力で縛れない」→だからその力を使うのは仕方がない→皆が納得したところで気づけば話数がつきている→なんとなく回収して終わりとゆーそんなしみったれたもんが面白いんか?なあ?面白いんだろうな。ウーン。
まあ、人にない力を持って偉そうなことが言いたいって、そういう中2(=14歳という意味にあらず)的な快楽ってありですよ。お話にそういうのないとつまらんわな。自由な願いをかなえてなんぼなところあるし。でもさー。心の自由からでなく、中2設定ありきってだけでお話を作ると、なんだか妙なことになるわけですよ。すげえ世の中がちっぽけになっちゃうっていうかさー。なんかこう、たまには人として気持ちの分かる人が公平だったり不公平だったりするのをお互い様として、後ろを向いたりしながら、それなりに前を向いて、幸せになって欲しい人が幸せになる話が見てえなあ。おばはんの愚痴だと承知で言うけど、ワタシ星山博之さんを養分に育った子供だからさー納得できねえもの面白いって思えねえよやっぱり。いや星山さんもつまらないものは信じられないくらいつまらないんだが、気持ちっつーかさー。生きてる人間に言い訳言ってる暇はなかったよなーと。